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06/06/2009 来週は新潟へいつまでも終わらない図面の修正も
今日は早めに切り上げ、
高校の同級生N君と飲んだ。
超が付くエリートだけど、こいつと言いたいことを言い合いながら
酒を飲むのはいつも楽しい。
高校を出て僕らも10年歳をとった。
結婚の話とかゴルフの話とか
何も変わらない部分もあるけど
話題も確実に歳を取っていってるな。
結婚式の二次会の幹事をやらせてもらったのはいい思い出。
来週は引っ越した幹事仲間を訪ねて彼ら夫婦と新潟へ行く予定。
スノボで多分新潟県には行ったことあるけど
他の雪山と同じで地域的な印象は全然なし。
お酒とか、魚とか、美味しいのかな。 24/05/2009 初めての北海道金曜日に有給休暇をとって
塾講時代の仲間と4人で北海道まで2日間2ラウンドのゴルフツアーに行ってきました。
2日とも雨だったけど、気兼ねしない友達と一緒に回れて楽しめた。
来週は設計部のコンペなのでいい練習になったと思う。
次の目標は悪くても120台で回れたらやっと形になってくるかなという感じ。
特に寒いわけでもなく
殆どの時間をゴルフ場で過ごしたので食事以外はあまり北海道に来た実感は無かったのは残念だけど
(ゴルフ場にキツネが出没したのにはちょっと感動)
海の幸、じゃがいも、味噌ラーメン他色々食べたし、短い時間だったけど満喫できた。
明日は休日出勤予定。
本来は休みを取ったのなら3連休にするべきだけど
初めての主担当で現場も動いている巨大物件に途中から放り込まれ
わからないことだらけの中でやることは山積みなので仕方ない。
明日は本来会社のソフトボール大会の予定だったけど
一連のインフル騒動のせいで延期に。。
楽しみにしてたので残念だった。
最近そんなこんなで学校には行けていない・・・
一級に受かることは今年の一番大事な仕事の一つなので
去年みたいな悔しい思いはしたくないし気持ちだけはは切らさないように
体調とは当然相談しながら頑張ります。
今度北海道行くときはもっとのんびり行きたいな。
人も食べ物も風景も、素敵なところだった。
06/05/2009 久々のロンドン4年と2ヶ月ぶりに親父とロンドン行ってきました。
ミュージカル見たり、サッカー見たり観光も色々したけど
久しぶりにベティとパトリックに会えたのは一番嬉しかった。
ホストマザーのベティと、
学校の初日に出会ってからずっと毎日のように遊んでいた
スイス人の親友パトリック。
二人とも元気そうでよかった。
またメールとかだけじゃなくて
定期的に会わないといけない人達だと思う。
英語の方も多少忘れた言葉はあるにせよ
あの頃と同じように言いたいことが言いあえるというのは素晴らしいことで
体で覚えたものというのは意外と忘れないんだなと思った。
また少しずつ英語の勉強も出来たらいい。
あとは、あの半年、一日一日を大事に過ごすことを学んで
日本に帰ってきてからの4年間も変わらずに過ごせていること、
単に、「あの頃はよかった」なんていう思い出だけの日々ではなくて
色々ともがいていたあの頃の努力は、今の自分と、今の目標へ
途切れずに続いていると感じられたことが大きかった。
日々の業務に終われるだけの毎日にならないよう
また明日から仕事だけど頑張ろう。
27/04/2009 連休は29日朝から6日朝まで(日本時間)
ロンドンへ親父と2人で行ってきます。
ある意味では今の自分の原点の街、
やっとその旨ホストマザーにもメールしたところ。
準備はまるでしてないけど、まあ服をつめるだけだし大丈夫だろう。
仕事が何も区切りついてないのが気になるけど
月曜頑張ってまとめないと。。
5ヶ月ほど住んでいて
地元民と遊んだり街歩きとかはよくしてたけど
純粋な観光だけの場所には実は全く行ってなかったので楽しみではある。
忘れた英語少しは戻るかな。 22/03/2008 エジプト旅行#2・ギザのピラミッド~夜行列車しばらく実家(浜松&西宮)に帰っていました。
エジプトについて最初の一日・3月4日
夜が明けて鳴り止まないクラクションで目が覚めた。
エジプトで面白かったことの一つが交通事情で、信号は誰も見ていない。
車も人もお互いがぶつからないように行きたい方向へと進んでいた。
したがって道はいつもクラクションであふれている。
何車線もあり交通量の多い道路を渡らなければならない時は怖かった。
車を避けながら一車線ずつ進んでいく。慣れるまでは現地民が渡るのと同時に、
しかも彼らを盾にするように渡っていた。
ピラミッドを見に行くのは早朝がよい、またぼったくりが多い為初日に行くのは良くないとされているが、
その両方を破ることになった。
4時ごろに寝て9時過ぎに思っていたより豪華な朝食をとった後ホテルを出たのは10時頃。
地下鉄でラムセス駅へ。
アスワンへの夜行列車のチケットは当日のチケットはここだけだと言われた窓口で
前の集団にずいぶん待たされ、荷物も預けて自由になったのは昼頃だった。
ピラミッドを見るのはまたカイロに戻ってきてからにする手もあったけど、これだけ大きな目的の一つの近くにいて、
行かないというのは無理があった。
ひとまず地下鉄がわかりやすかったのでギザ駅までは地下鉄で行ってマイクロバスに乗ろうと思った。
ピラミッドエリア行きのバスを見つけて乗ったところまでは良かったものの、乗り場で会ったカイロの学生と名乗る男が曲者で、
わざわざ自分の分のバス代は自分で払いながらたまたま同じ方向へ行くと案内してくれた男が、よく聞く悪質な客引きだったのが残念だった。
学生用窓口に近い方に着くバスに乗り換えようと言う話に引っかかったんだけど
今思えば信用できない要素を色々備えていた。
・英語が下手
・安い、僕らは友達、学生割引、をやたら多用すること
・表情に影がある
ともかく、この旅で唯一、疑問を放置して自分の目で確認することを怠った結果、
言われるままバスから乗り換えて着いた先は3大ピラミッドのエリアの裏口のラクダ乗り場。
砂漠の向こうにピラミッドはうっすら見えている。外はかなり暑い。
そこに用意されたツアーは全てが笑えるほど割高だったけどエリアまでの片道でいいからとロバでそこまで向かうことにした。
道中お決まりのラクダに乗って記念撮影なんかもあったけど、
一番衝撃だったのはパノラマポイントからのピラミッドよりも漫画で見たような砂漠に転がったロバの死体だった。
比較的新しい半分骨になったもの、殆ど白骨化したもの、色々あった。
同胞の屍をよけながら進む哀れなロバは疲れているのかもう一頭に乗ったガイド役に怒鳴られない限り決して走らなかった。
バクシーシ(頻繁に要求されるチップ)は彼らにやりたかった。
お金よりも貴重な時間を削られたことが悔しかったり悲しかったり色々と納得できないことはあったにせよ
砂漠の中少しずつピラミッドが大きくなっていく光景はなかなか貴重な体験だったかもしれない。
ピラミッドは間近で見ると大きすぎて、近くに見えるは巨石の壁のみで、
上のほうは遠くて見慣れた写真以上にはよく見えない。雲ひとつ無い青い空はサングラスがないとまぶしかった。
どんなに近付いてもまだ遠いこんな建造物をどうやって作ったのか・・・
面白いのが、もし現代の技術があったらどうやって作るのかをバブル期の大林組は真面目に検証していたようだ。
5年で作る計画の最後の仕上げが軍用ヘリを借りるとなっているところが何だか凄い。20tの石を運べる民間機は無いかららしい。
スフィンクス下の神殿の入り口ではチケットを要求されて困った顔をしたら事情を察したのか、
Smile!(笑えよ)とポンと肩を叩かれて中に入れてくれた。
遥か昔に建てられた柱と柱の間、梁の下を歩いているとなんだか感動したし、これから見ることになる遥かに大きな規模の遺跡が楽しみになった。
夕暮れまで待っても良かったけど暑いしお腹も減ったということでエリアを出て有名なKFC&ピザハットの建物へ。
景色は良かったけど肉はパサパサだったし現地の食べ物に比べると値段は倍以上で味は半分以下という感じだった。
一転・・・
夜行列車に乗る前に食糧の買出しを手伝ってくれた学生のマホメッドは非常に親切だった。
おごってくれたサトウキビのフレッシュジュースは美味しくて、それから毎日飲むことになったし、
代わりに注文してくれたエジプト料理のサンドイッチはどれも美味しかった。
そして、この列車での移動は今回の旅のなかで一番良い思い出の一つとなった。
何人もの現地人に聞いて確認したとはいえ本当にこのホームでいいんだろうかとニューヨーク在住のインド系アメリカ人と半信半疑で待ったり
近くに居合わせたカナダ人のジョディとメキシコ人のガブリエルとグロリアとの4人で夜遅くまでポーカーで遊んだり、
ぐっすり眠って夜が明けると子供が騒ぎ出して車内を走り回る。外の景色ともあいまってまさに「世界の車窓から」の世界だった。
ナイルに寄り添って暮らす農村の風景、少しずつ強くなる日差し、全てが新鮮でエジプトに来て本当に良かったと思った。
右側はフェンス。裏口までけっこうあった。
裏口を入った直後。
いわゆるパノラマポイントに着く
カフラー王のピラミッド。上部に化粧岩が残る
クフ王のピラミッド
登るなという注意書き
スフィンクス前・河岸神殿
15/03/2008 エジプト旅行#1・入国~ホテル3月3日・移動日・往路
成田での集合は12時なので朝の9時には出ないといけない。
朝の4時ごろまで1級建築士の通信教育課題をやっていたので寝る時間は無かった。
パスポート・チケット・現金1万円・予備のクレジットカードを直接腹に巻くポケットに入れて出発した。
同期の3人組とは前日に同じ便であることを研究室で聞いていたので会うかなとは思っていたが
窓口に並んでみるとまん前にいた。
乗り継ぎ地点のミラノで先に飛び立つ彼らとお別れの記念撮影。
もちろん遺人になる気は毛頭無かったけど 遺影に使われても良いくらい思い切り笑顔で写った。使ったのはALイタリアと書いてアルタリア(ALITALIA)航空。
機内食はおいしかったがモニターとイヤホンは機能していなかった。
あとサービスは雑ながら添乗員の男が映画俳優みたいなイケメンだった。
その辺がすべてさすがイタリアという感じを受けた。
もともと映画云々を見るつもりはなく
ここでは通信教育で犠牲になった「地球の歩き方」の熟読と睡眠をしっかり行った。
ミラノでは3時間ほど待って予定通り薄暗い搭乗口に並ぶと日本人は一人もいなかった。
アジア人は中国と韓国からのツアー客のみ。
けっこうエジプトに帰るんですっていう顔の人も沢山いた。
先進国と途上国の境目だ。先進国さようなら。
しばらくはきれいな環境と安定したサービスは最初から期待しない。
ただその代わりにある我々の安住の地にはないものが楽しみだった。
カイロには午前2時頃着。
入国審査の前に順路にある銀行でビザの取得(15ドル)と現金の両替を行った。(1ポンド20円)
入国審査を抜けるとツアー客らは待ち構えていた関係者に連れられていったのであっという間に一人になった。
公共機関の無い時間なのでタクシーを使うしかないが誰を信頼できるか分からない。
一人何の制服か分からない男が
I can help you.
と早速話しかけてきたがとりあえずトイレに行きたいからと遠ざけた。
空港のトイレは意外とまともだった。
トイレから出るとまだ待っている。
話を聞くとホテルまでの値段は歩き方に載っていた相場(60~70ポンド)よりだいぶ高い100以上だったので
断りながら出口に進むともう一人声をかけてきた。警官や他の男達は
You can trust him.と言ってうなずいている。
ホテルの名前と場所を伝えると一見何が書いてあるか分からないレシートを作って渡された。
ホテル名と値段は16ドルであることが確認できた、80ポンド程度。
さっきよりは安いがまだ高い。
したがって取り囲まれながら見回しても暗がりに浮かぶ顔は胡散臭いのはみな同じで、
この国ではまず誰かを信用しないと何も始まらないことがよく分かった。
高い分は深夜料金だと思えば納得できた。
半信半疑で金を渡してサインする。
Follow him.と言われ当然知らない顔がまた現れる。
なるほど運転手は別にいるらしい。
まず連れて行かれた駐車場は真っ暗で汚く、車もぼこぼこだが言われるまま付いていき乗り込む。
暗がりの中ナトリウム灯のオレンジ色の光に照らされたモスクの横をハイウェイで抜け、
しばらく走って地図の通り橋を二回渡っているのがわかる。
ひとまずそのタクシーは無事にホテルに着いた。特にチップも要求されず。
チェックインしてシャワーを浴びる。午前4時、長かった。
一眠りしたらラムセス駅でアスワンまでの切符を手に入れ、どうやら預かり所があるようなのでそこに荷物を預け、
それからピラミッドを見に行こう、そこまでの予定は立てていた。
小学校の時「知らない人についていって車に乗ってはいけません」と習ったけど初めて破ったと思うと可笑しかった。
ここではそうするしかないので人選びが重要になる。
ミラノにて・レゴのハリーポッター
最初に泊まった部屋・日本から手配済み
13/03/2008 エジプトから帰る無事に本日帰国しました。
巨大遺跡目当てに行ったけど、やっぱり一番面白かったのは出会った人々だった。
一人旅ではあったけど最初から最後まで殆ど誰かと一緒に話していた。
ミラノ乗継では朝7時について昼の3時まで待たされたけど、日本行きの便が研究室仲間を含むヨーロッパ旅行組と一緒だったのは最後のサプライズだった。 書くネタは少なくとも一か月分くらいありそうなので少しずつ紹介していけたらと思う。
喜怒哀楽の全てが濃い8日間で、総括するとめちゃめちゃ楽しかった。
特に期待していなかった食べ物が美味しかったのは意外だったけど、
かつての王国が広範囲から食べ物を集めたレリーフもあるくらいだから
洗練された食文化があってしかるべきなんだろう。
(旅行スケジュール・メモ)
3日)成田発・ミラノまで同期生と一緒だった。深夜にホテル着、数時間眠る。
4日)ギザのピラミッドへ。裏口からロバに乗って砂漠を抜けてエリアに行く羽目に。夜行列車でアスワンへ。居合わせたメキシコ人やカナダ人とトランプで遊ぶ。
5日)昼にアスワン着。時間つぶしに乗ったフルーカ(ヨット)の船員キッチナー島出口で待機のはずが行方不明に。仕方なく別の船で戻る。金欠のロシア人から余ったピザをもらう。
6日)3時起床、アブシンベル・アスワンハイダム・イシス神殿・切りかけのオベリスク(ロングツアー)、同じ宿の日本人恐らくバス内で財布紛失、ATMまで案内する。夕食一緒に食べる。
7日)7時半発、コモンボ・エドフの遺跡を見ながら北上、ルクソールへ。午後は夕暮れ時をフルーカの上で1時間ほど過ごす。ホテルのスタッフや他の旅行者とパブ~クラブへ。4時就寝。
8日)7時半発のはずが40分起床も問題なくゆっくりと朝食をとってからツアーに合流。ナイル川両岸を朝から晩までかけて回る。夜はポーランド人やフランス人の集団とベリーダンスを見る。
9日)フルーカでバナナアイランドと呼ばれる場所に行ってバナナを食べる。前日忙しすぎた分ゆったりと過ごす。宿が気に入ったので一泊延ばす。夜はまた飲みに行く。
10日)自転車を借りる。午前中は8日のツアーで見逃した遺跡2箇所を見に行く。午後はキーが壊れ宿で過ごす。夕食後夜行でカイロへ。20歳前後の陽気なアメリカ人3人組と談笑する。
11日)考古学博物館の後シェラトンのカフェで休憩。オールドカイロを少し見てからお土産を求めてハン・ハリーリへ。コシャリ屋の親父となぜか腕相撲して負ける。ホテルでタクシーを待つ。
12日)ホテルのドアが中から開かず外から開けてもらい午前1時ホテルを出発。飛行機は4時発、ミラノには7時着。15時にまた同期生と再会。
13日)11時半成田着。
11/03/2008 from LuxorNow it has been a week since I left Japan and I am here in an Internet cafe near the hotel I stayed for 3 nights, sittng next to a man from Britain.
After I have a dinner with the guy and then I go to a museum here, I am taking a train at 11 pm so that I get to Cairo tomorrow morning
to visit the famous museum and some places I have not seen then to fly back to Japan.
So far this trip seems really succesful. I think I got more than what I had wanted in the trip.
People here is really kind and living with peace exept some too touristic annoying ones.
I think I could learn one of the ways how to live through in the short time.
See you soon.
03/03/2008 Leaving for Egypt一級建築士対策の通信講座の締め切りが帰国の次の日なので
昨日届いたばっかりだったけど
荷造りとかもしながらじっくりやっていたら寝る時間がなくなってしまった。
今日の14時に飛んでカイロには3月4日の午前2時半着、
時差はマイナス7時間なので乗り継ぎ込みで20時間もかかる。遠いな・・・。
10日間の旅だけど実質現地で動けるのは7日間。
アラビア語は全くわからないけど数字(インド数字というらしい)だけ覚えた。
算用数字とけっこう似てる。
ただ見た目はともかく読みは全然ピンと来ないけど覚えられるのかな。
この世界一清潔でサービスのいい日本と比べると食べ物も何もかも色々ひどそうだけど、精一杯楽しんできます。
カイロ~ルクソール~アスワン間の電車での長距離移動が不安でもあり楽しみでもある。
28/02/2008 初南国北半球では屋久島が南端だったので今回のグアム旅行が初めての南国だった。
道もバスも街灯も全てが基本的に大きめな町並みを除けば、
日本語がまかり通りすぎてアメリカという感じはまるでしなかった。
英語で話しかけてみると流暢な英語で返ってきて、逆にほっとした。
面白かったのは夜皆で散歩していて、怪しいおじさんがストリップどうと誘ってくるのはまだしも、
割ときっちりした格好の女性タクシードライバーまでが、「面白いとこ行かない?」と声をかけてくるところだった。
道行く地元民が車の中から「日本最高!」と叫んでいたり、何が最高だったんだろうか。
とにかく滞在したホテルやショッピングモールの密集するタモン湾岸は完全に日本人用のリゾート地となっていた。
他の場所は時間的に行けなかったけど、今回はとにかく浮かれに行ったのでそれでよかった。
こんな陽気な所で昔の日本人は戦ってたのかとバスに揺られながら少し考えもした。
当時の兵隊さんたちは殆ど日本領になっているこんな未来を想像したんだろうか。
夜もそんな感じで面白かったが、やはり昼の太陽はまぶしくて、
寒い中で徹夜を繰り返していた我々は精一杯波に揺られて楽しんだ。
皆でこいだカヤックは気持ちよかった。
少しよどんではいたけどシュノーケルに足ヒレをつけて発見したかわいい魚を追いかけたのもいい思い出だ。
殆ど写真は撮らなかったけど、夕日は一応撮っておいた。
夕食のBBQは肉の量が異常だった。どうしても残ったステーキをサラダバーの野菜やパンを使ってサンドイッチにして持ち帰ったが、
誰も食べようとしなかったので結局自分が明くる朝にほぼ全部食べた。
次はエジプトに3月3日から。
スペインではその一端だけ触れられたイスラムの世界と古代遺跡はどんなものか見てきます。
聞くところでは名所の周りはかなり観光地化されてマックやKFCに毒されているようだけど、
街と街の間の移動とか、現地でのコミュニケーションが一番の楽しみ。
ピラミッド云々は写メに撮れたら満足だけど、生で見たら感動するかな。
これで4人前。
2階がオープンタイプのバスから。気持ちよかった。
網投げの瞬間を何度も撮影用に見せてくれた陽気な人たちがいた以上3枚はチャモル村にて。
村とは名ばかりで居住実態は無さそう。おそらく観光用の展示的なものだが景色は良かった。
日本人の女の子を次から次へと捕まえるすごい親子がいた。
女の子を見つけては手を引っ張る無邪気?な息子とそれに乗じて話しかける親父(右奥)
手前の男はさらにそれに便乗した日本人男性。
06/11/2007 そうだ 京都、行こう。先日の土日、長い間関西に住んでいたのに一度も観光に行ったことがなかった京都へ、大林組の同期内定者仲間と行ってきた。
京都にいる同期が朝一番で並んで、嵐山トロッコ列車や保津川下りのチケットを買ってくれて、2日間に渡って色々案内してくれた。
手探りで進める旅も楽しいけど、地元の案内があると心強いし、とても有難かった。
初秋の京都は紅葉にはやや早く、木によっては色づき始めているという感じだったけど、
そんな微妙なグラデーションもまた風情があって綺麗だった。
絶妙な木々や石等の配置に、季節を感じながら一年中その表情を楽しめる先人たちの知恵を感じた。
まだ無数にある訪れていない名所はもちろん、一度来たところも、来る度に新たな発見があるんだろうな。
さすがは古都京都、日本文化の美の最高峰として、世界の宝として世界中から人を集めるところだと思った。
入社後はきっと全国に散らばって、なかなか一緒に仕事をする機会も無いかもしれないけど、 年に一度くらいは京都に集まって遊びたいな、同期たちとはそんな話になった。
基本的には来年GW明けに大阪・名古屋・東京のどれかが本拠地になる。
どこへ行くのかという不安は他の人に比べると自分は小さいんだろうなと思う。
大阪なら母と妹が近いし、神戸は中学卒業までを過ごした地元。
名古屋なら浜松に父がいて、市内には1年、浜松には高校時代の3年住んでいた。
東京はほぼ現状維持、一番便利。
何よりも有難いのはどこへ行っても会いたい友達がいること。
やはり一度は日本の業を持って海外で仕事をするということがしたいし、
それができるようになる為に質の高い仕事が出来るところにはどこへでも行くというスタンスでいたい。
そんな風に気持ちを新たに出来たので、ちゃんと卒業する為にも研究頑張ります。
↓天龍寺
25/03/2007 仙台に行きました23日夜・幹事を務めた謝恩会の二次会は卒業生も先生方も皆、とても喜んでくれた。
多くの人の学生最後の日の思い出に花を添えられたのは最高に嬉しかった。
24日・気がかりだった仕事も終えたということで、朝から親友の待つ仙台へ。
残念ながら天気が悪かったので、松島などの景観スポットには出かけなかった。(近くの温泉には入ったが)
よって牛タンを食べることしか考えておらず、
建築の学生にとっては必見のせんだいメディアテークの存在を途中まですっかり忘れていた。
実物を見た感想は、写真を載せるときに書こうかと思う。
伊達正宗の城跡や墓やそれに付属の小さな資料館なども行ったりしたが、
最も印象に残ったのは仙台空港の滑走路で、
頭上をかすめるように着陸していく飛行機は迫力があった。
ギャラリーがたくさんいて、隠れた名所になっているようだ。
夜には牛タンを肴にお互いの就職祝いで乾杯した。
無限にあるように思えた学生時代の重要な一つの時期を共有した仲間として、
これからも会うたびに互いの成長を認め合えるように精進していけたらいい。
25日・今は福島のインターネットカフェにてブログを更新中。
明日は福島を少し観光して横浜に帰る予定。 23/03/2007 遥かなるゴールドこの数日は実家のある浜松へ帰っていた。
最近六甲アイランドから西宮へ引っ越した妹がインフルエンザで倒れたということで
旧居の明け渡しをするために親父と神戸に行く機会があった。
忙しい日帰りだったけど、久しぶりに見た神戸の景色はとても良かった。
南から北へ、海から山にかけて、
人工島、海、港、工業地帯、オフィス街、住宅街、六甲山脈が階層的に連なっている様子が
一目で把握でき、ダイナミックな美しさがあった。
今日は卒業式。学校はスーツ姿、着物に袴姿などが溢れていて華やかだ。
長かった学生生活も、これで残り1年ということ。
自分も一足早く卒業していく友人たちのように、晴れ晴れとした顔で巣立てるように、頑張りたいと思った。
今日の研究室の飲み会が無事に終われば、明日は仙台へ。
帰りには福島に寄ってくる予定。とても楽しみだ。
一つショックなことがあった。
またしても免許証を失効させてしまった。誕生日から1ヶ月が期限だが、もうすぐ2ヶ月が経とうとしている。
いつもこの時期は忙しいといえば忙しいが、何故案内状に気付かないのだろう・・・
大量に届いていた就職関係の広告と一緒に捨ててしまったようだ。
ゴールド免許を手にするのはいつの日になることやら。。 28/02/2007 旅がしたい昨夜NHKの「72時間」という番組で、
東京のドヤ街に集まる海外からのバックパッカーを72時間カメラが追うという
ドキュメント物を見た。
もう2年前になるバックパッカーとしての旅は、すごく貴重な体験だったんだと再確認して、
この就職活動が落ち着いたら、また少し異文化を求めて旅に行きたいと思った。
また、あの旅の日々と同じように、一日一日を大事にしていこうと思う。
思い返すと、あの旅を経て自分は以前よりも時間を大事にするようになった気がする。 29/11/2006 世界の首都のゲーム狂ロックフェラーセンターの一角に任天堂センターというものを偶然見つけて入ってみると
ポケモンなどがみんなで出来るコーナーのようなものがあって
子供がマイポケモン~~と叫んでいた。
とてもメカニカルな空間で人が多いのにコミュニケーションに乏しいというか、皆画面に集中していて怖かった。
居心地が悪くて外に出ると、歩道の上にずらりとテントが並んでいる。一瞬浮浪者かと思ったが
見ると皆座ってゲームボーイなどをやっていた。いったい何の為に?
寒い中異様な光景だったけど、どうもその日はWiiリモコンの発売日前日だったらしい。
日本ではまだだけどアメリカで先行発売された模様。
そういえば日本人らしき人たちも並んでいた。ゲームをしながら。
その時人間らしさって何だろうとふと思った。
何だか子供の育て方を考えてしまう。
27/11/2006 世界の首都・いきなりタクシー詐欺ワシントンでの乗り継ぎ便は何度も予定時間が遅れた上、
ゲート前でうとうと寝ていて気付いたら周りに人がおらず、見るとゲートが変更になっていて
しかも予定時間が早まっていたので急いで移動した。
後30分くらい寝てしまっていたら危なかった。
飛行機に乗り込んでもなかなか離陸しなくて、ふと気付くと飛行機のエンジン音は止まっており、
何やらお詫びのアナウンスと共に飛行機を降りて荷物を回収してくださいとのことだった。
降りるとさっき乗り込んだゲートと同じ景色だと思って、代わりの便があるのかなと不安になって歩いていたら
しばらくして「welcome to New York」の文字が。もう着いてたのか!全然離陸も着陸も気付かなかった。
ラガーディア空港からは友人宅に行く路線が出ているペンシルバニア駅、通称Penn Station行きのバスに乗る。
グランドセントラル駅で別のバスに乗り換えるということで降ろされてそのバスを待っていると
饒舌な長身のロナウジーニョ似の男がペンステーションに行きたいなら次のバスは45分間来ないし
相乗りで一人5ドルでどうだということで自分を含めた4人は納得してしまいタクシーに乗り込んだ。
そのお金はタクシーの運ちゃんに渡っているかと皆思っていたがそれは甘かった・・・。
タクシーの運ちゃんは皆に「やられたね。」と言う。彼は15ドルを持って消えた。
運ちゃんの、「THIS IS NEW YORK!」
という響きが耳に残っている。ここでは自分の身は自分で守れよと。運ちゃんは良い人だった。
実際の運賃は一人2ドル程度。ニューヨークのタクシーの安さを含め、
5ドルならまあ安い授業料だったねと隣のロスから来たらしいおじさんと話した。
疲れた旅行者をだまして回るあいつは今どこへ・・・もう記憶の中ではロナウジーニョの顔になってしまっている。
飛行機が遅れたこともあって合流できるか不安だったが、友人とは無事スタバで会えた。
彼は自分が着くのが前日だと思っていたらしく、一晩余分な心配をさせてしまった。
外資のトップ企業で活躍中の高校時代の同級生の部屋はマンハッタンからも近く、下手なホテルより広く美しく快適であった。
26/11/2006 世界の首都・モンゴリアンとの出会いニューヨークに行ってきました。
行きはワシントンDC経由、帰りはシカゴ経由で。
なぜか行きは乗り継ぎでも預けた荷物を回収して再びチェックを受けなければいけなかった。
行きの飛行機は真ん中の列のど真ん中で飛行機も満席だったのできつかった。(窓●● ●●○●● ●●窓)
ただ左の通路側のアメリカンがすごく優しいナイスガイで、すごく気を遣ってくれたのと、
僕と彼の間に座っていたモンゴル人のおじ(い?)ちゃんが
英語が殆どわからず入国カードを書くのに困っていたのを
2人で身振り手振りと、そのモンゴルのおっちゃんが持っていた英会話例文集、ロシア語-英語の辞書(露英辞書?)などを駆使して
コミュニケーションをとったのは良い思い出だ。
「本当に感謝します、ありがとう。」と書いてある欄を指差して親指を立てるポーズで笑顔。何か可愛かった。
彼がちゃんとアメリカに入国できたのかは気がかりだ。
そういえば2度目に受けたTOEICのスコアが返ってきていた。
1度目よりも時間が足りなくて集中力もいまいちで駄目だと思ってたけど何とスコアは前回より45ポイントUPの825点。
完全に予想外だったので嬉しい。
今はかなり英語に触れてきた直後なのでこのまま頑張ればもっと上狙えそうだ。
しかしこれだけスコアが出ていてもエンパイアステートビルの展望台入場の列で話しかけてきたおばちゃんの簡単なジョークは理解不能だった。
2度聞き返しても反応できなかったのでおばちゃんは「まあ、この中国人は英語がわからないのね。いいのよ。」って慰めてくれた。
語学を勉強しようと思う原動力はこの悔しさだと思う。
伝えたいのに伝わらないのももどかしいけど自分があきらめなければ何とかなる。
それに対して、相手が伝えようとしていることを理解できず、相手が伝えることをあきらめる瞬間というのがある。
今までに何回もあるけど、これほど悔しいことはない。
まあ、ジョークは育つ背景がかなりものを言うので一番難しくはあるんだけど・・・ 17/11/2006 ニューヨークへ行こうバイトが終わった後講師仲間たちと最後の晩餐と称して市場食堂でうに丼を食べ、
その後ファミレスで話し込んでいたら朝になってしまった。
今日から25日まで家を空けてニューヨークに行ってきます。
今朝パッキングを終えHISによる注意事項を見ていると
「預ける荷物に鍵をかけた場合破壊して中を改める場合がございます」
という衝撃的な但し書きが合ったので急遽ロックしなくても開かないジップ式の小さめのケースに入れなおした。
詰め込めば入るものでこちらの方がポケットもあるし軽いし断然良い。
またしても徹夜で非常に眠い午前9時現在だけど現地は日本時間からマイナス14時間、
プラス10時間マイナス24時間と考えると現在は日付は昨日の19時。
今寝ると寝過ごしてしまうのでなんとか移動しながら寝るしかない。
危うく忘れる所だった冷蔵庫の牛乳を飲み干して、出かけるとするか。
どんな大都会が待っているのか楽しみ。
03/10/2006 群馬・河原湯温泉夏休み最後の週末、研究室恒例のゼミ合宿ということで
数年後ダムに沈む運命にある温泉郷、川原湯温泉に行ってきた。
ムササビは見れなかったけど、良い宿だった。
もっとメジャーな伊香保にも寄ってきたけど、風情は断然河原湯のほうが上だったと思う。
早速学校も始まった。
8,9月は生活のかなりの割合をインターンに占められていたので
やっと学生に戻れた感じ。
この勉強できる喜びのようなものを忘れず、頑張っていこう。
25/09/2006 長崎へ行こう①「はやぶさ」親父殿の企画で妹と3人、長崎まで。家族旅行といえば久しぶりな響きがする。
まずは寝台特急「はやぶさ」上で合流して朝に九州入りするという計画。
寝台列車自体が生まれて初めてで、とにかくレトロな雰囲気にまず感動した。
古さも不便さも含めて列車の旅の魅力を詰め込んだ良い空間だった。
テーブルを開くと洗面台になったりする仕掛けが楽しい。
6時半ごろ横浜を出て9時半ごろ浜松で無事二人と合流。
缶ビールで乾杯して持ち込んだお弁当で食事。車内での食事の販売は無かった。
夜の9時ごろから朝の7時ごろまではアナウンスが無いが
アナウンスが始まると必要以上のボリュームでかなりうるさい。
/9月22日(金)夜~23日(土)朝 |
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